昨年、兵庫大学で客員教授をさせてもらったおかげで、20歳前後の方たちと話す機会が多くありました。
自分の学生時代を思い起こしながら、いまの学生に触れてみると、「あぁ、本当に違うな」と感じるのです。
「良い悪い」ではなく「違い」を感じる。
一番衝撃的だったのが、就職活動の講義をしたあとに、ひとりの学生が真剣な顔で質問に来たんですね。
学生「先生、質問していいですか?」
僕 「もちろん」
学生「今日の講義で”興味”や”好き”についての話がありましたが・・・・」
僕 「うん、しましたね」
学生「興味って、どうやって持つんですか?」
これです。
『興味ってどうやって持つんですか?』
ちょっとだけビックリしました(笑)
が、考えてみれば当たり前なのかもしれません。
質問しに来てくれた彼は、ひとりっ子で、両親に可愛がられて育てられた。
小さいころから、習い事も、塾も、欲しいものだって、自分で考える前に親から与えられ続けてきたのだとしたら。
自分で興味を持つ前から、いろいろなモノやコトが溢れていた。
だから、この質問も当たり前なんだろうなと。
『興味って、どうやって持つんですか?』
もちろん、この質問については僕なりの返答はしましたが、改めて思ったことがあります。
「ある人」なんだな、いまの学生の多くは。
それに比べて、僕たちは「ない人」なんだろうなと。
※カンタンにですが、ぼくの定義をお伝えしておきますね↓
ここでいう「ある人」というのは(ある程度)モノ・コト・愛情を与えられて育った人のこと。
反対に「ない人」というのは、そのどれかが与えられずに育った人のことです。
もう少しカンタンに言うと、
「ある人」は、小さいころから旅行にも行ったし、欲しいものは買ってもらったし、両親から愛情をもらった人。
「ない人」は、両親は忙しく旅行にも行けなかったし、なかなか愛情も感じられなかった人。
もちろん「ある人」が良くて、「ない人」が悪いなんてことではありません。
時代が違うんですから、感覚が違って当たり前。
だから、「違いを認める」ことが大切なんだと感じるのです。
例えば先ほどの「興味って、どうやって持つんですか?」に対して、
「そんなこと言ってるからダメなんだよ!」
「興味ももてないのか!近頃の若者は!!」
というように、ダメ!間違い!といって「間違ってる」というのではなく、
「そうか、興味の持ち方か」
「どうして、その質問が出たんだろうな」
というように、違いとして認めること。
「良い悪い」ではなく「違い」なんだということ。
そのうえで、若手の育成なんかを考え直していくと、全く変わっていく。そんな気がしてなりません。
今年は、もっと学生と触れる機会が増えそうなので、僕自身もっとコミュニケーションをとりながら、積極的に違いに気付いていきたいと思います!
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